いつものクリニックへ通院途中、「ご自由にどうぞ」とバケツに張り紙がしてある大量の花が道端に置いてあった。開店のお祝いでたくさんもらったのだろうか。その花を持っていく人を見て、また別の人が花を持って行く。
最近は花を買う余裕がなかったから、もらえるなら嬉しいと私も思った。クリニックが終わったらいただいて帰ろう。久々の外出はあんまり気分が乗ってなかったのだけど、不意のラッキーに少し元気が出た。私がまた来るまでに無くなりませんように、と思いながらとりあえずクリニックへ向かう。
一部の地域では、開店祝いの花を持ち帰る風習があるらしい。「花がすぐ無くなるのはお店が繁盛している証拠」なんだとか。益田ミリさんの本で読んだのを思い出した。(どの本に書いてあったかまでは覚えてないです…)
花はまだまだバケツにいっぱい入ってはいるけど、綺麗なものから無くなっていくだろうから、ちょっと気持ちが焦る。
30分くらいしてクリニックの検診が終わり、足早にさっきの花の元へ行ってみた。クリニックからそこまでは大通りを挟んだ目の前。横断歩道を渡ったらすぐにある。
やっぱり残っていたのは少し萎れて首が下を向いている花ばかりだった。行く前にもらっておけば良かったかな。でも荷物になるし仕方なかったよな。とか考えながら、まだ数日は持ちそうなキレイめなものを数本引き抜いた。
福岡は品のあるおしゃれな人たちが住んでいるので、たとえ無料でももらっていこうと思う人は少ないはず、と踏んでいたのだけど、そうでもなかった。
というか、思い返すと持って帰っていたのは年配の方ばかりだった気がする。たまたま私が見たのが年齢層の高い人達だっただけかもしれないけど、自分も心がたくましく成長した年齢層高い側なのかなぁと、いきなり30代の実感が湧いてしまった。30代は”年配”とは言わないけど。
若い子は花などに興味がないのだろうか。私も花をわざわざ買って生けるようになったのは20代の終わり頃だった記憶がある。
道端に置いてあるものをもらっていく、という行為に抵抗があるのかもしれない。20代前半ってまだ羞恥心がある年齢だし。
花瓶を持っていない、ということも考えられる。あとは、花で癒されなくても他に心を満たしてくれるものがあるのかも。
若いとか年配だとかで判断したくはないけど、やっぱり年齢が上がるごとに、刺激的なことよりもゆったりのんびり楽しめることの方に惹かれる。私だけでしょうか?
などなど、自分が花を持ち帰った行為を肯定する理由を思いつくだけ並べた日記でした。